自由を謳歌する

 去年の自分の4月24日は、起きている間はずっと仕事をしていた。残業時間とか、そういうのは関係なくずっと働いていた。給料は変わらないのに、何かに取り憑かれたように仕事をしていた。

 連勤がずっと続いていた。続けば続くほど、精神的に追い詰められていく感覚があった。追い詰められるほどに笑顔を作っていたと思う。

 建前と本音という言葉がある。建前に拘ってしまう傾向が自分にはある。面子を気にする。自分が一番嫌っている拘りが強く、プライドの高い人間になってしまっていた。とにかく時間がない。起きて仕事をして帰って寝る、の繰り返し。このままでいいのか、ということを考える暇もなかった。

 私にとっては、毎日仕事に追われて失敗を恐れながら過ごしていた。その時に周りの人を見ると、暇そうで楽しそうで充実していそうで、呪わしかった。同じ職場の人間も楽そうに見えた。羨ましいし頭にきたし、共感できないと思っていた。

 今の仕事を始めて学んだことは「必死こくこと」だ。誰よりも必死こくことが最低限必要なことで、そのことが周りの人間の納得を生む。憲法や法律や風潮や慣しよりも、納得だ。納得を得ることが一番難しい。逆に言えば、納得を得ることができれば何も怖いものはない。無敵の状態になることができる。

 前の部署では、瞬間の判断と行動で全てが決まった。瞬間に最高のパフォーマンスを見せることができればいい環境だった。今になって気がついた。今の部署では「ある程度」のパフォーマンスを継続して発揮する能力が必要で、瞬間の最大値は求められていない。「ある程度」以上のパフォーマンスには、誰も気がつかない。長距離走が苦手な自分は今の部署から脱出することだけを考えていた。役目を終えれば逃れられるという思いで2020年を迎えた。

 1000日程度の長距離走を覚悟して迎えた2020年は、世の中の大半の人にとって過酷な環境になっている。一方で私は時間を持て余している。最低限の仕事をして、感染をしないように気をつけていればいい。

 足りない足りないと思っていた時間が無限にあるように感じる。家にいる時間が増えた。土日が純粋な休みになった。純粋な休みの1日目は何もできなかった。のんびり起きて、のんびり食事をして、のんびり髪を切りに行った。

 世の中の人たちが今回の騒動の前にやっていたことが、非常事態の今できている。逆転現象だ。マスコミが騒げば騒ぐほど、自分の時間が増える。

 

 買ってから一度も開いていない漱石全集も、好きな作家の本も、読む自由が与えられた。

きっと今だけだと思う。この騒動が続いている期間だけは自分の時間を持つことができる。

家にいないといけないと言われることで救われる人間がいる。今日はずっと泥のように過ごしていた。明日になったマイクが届く。

 

 それまでは、自由を謳歌する。