「お前は自己愛が強い、俺と似てる」

 急に前の職場の習慣を思い出した。職場と自分のエゴサーチだ。

 ネットで事件の予兆を拾い、ネット上の自分の痕跡が残っていないことを確認して安心する作業だ。今の職場には事件はない。

 今の職業についてからSNSの名前を架空のものに変えた。ネット上の情報は悪意のある人間に利用されてしまう。SNSでは人間の底が見えてしまう、浅ましい姿を晒してしまう。僅かに残っている羞恥心と危機感がそうさせた。

 すべてのアカウントを潜入用のアカウントに変えて、あらゆるSNSで他人の情報を盗み見る手段を構築し、自らの欠点や弱みは一切ないと自分では思っていた。

 普段は深夜まで仕事が続くが、夕方にぽっかりと時間が空いた。数年前のように指が勝手に動いた。

 完全に消したと思っていた痕跡が残っていた。大学生のときに所属していたサークルや部活のページにしっかりと私の名前と写真が残っていた。どの集団でも、すぐに馴染んだが、仲良くなればなるほど私は疎外感を感じていた。自分が必要とされているのか、そうでないのかをいつも気にしていたと思う。意に反することがあればスッパリと縁を切っていた。今思えば、堪え性のない愚かな行いだったと思う。自己顕示欲の強い人間を馬鹿にしていたが、誰よりも自己愛が強いからこそ、人とは違う行動をしたのだと思う。

 所属していたサークルの先輩から、「お前は自己愛が強い、俺と似てる」と言われて激昂したことを思い出した。軽蔑していた人間からそんなことを言われたので、頭に血が上ってしまった。その男は今でも肯定できないが、本当のことを言われたから頭にきたのだと思う。彼が今どうなっているかを時々聞くが、似てはいない。全く種類の違う人間だ。ただ、彼も私も自己愛は強い。

 大学生のときの私はどの写真でも、気まずそうにしている。まだ自分を偽ることができなかったから、疎外感を表情に出している。それでも、まだ知らないことが多く、希望や期待を抱いていた。人間の醜さにも触れず皆の優しさに甘えている。自分の将来は明るいものになると本気で信じていた。

 出会った人たちに本当に冷たいことをしたと思う。私は彼らと仲間だった。少なくとも彼らは私を必要として、大切にしてくれていたと今では思う。私は自分から彼らとの関わりを切ってしまった。理由も考えも言わず言い訳もしないで、関わることを拒絶してしまった。

 ネット上の自分の情報を見て胸が締め付けられたのは、それが原因だと思う。彼らと会って、当時受け入れてくれたことのお礼と失礼な別れ方をしたことを謝罪をしたい、というのは私の我が儘だ。 

 浅い眠りが続いた夜に大学受験の夢を見た。不安や恐怖でいっぱいの夢だったが、私はまだやり直そうとしている。あれから10年も経つのに、不安と恐怖の先にある見知らぬ希望をまだ求めているのかもしれない。

 後悔をしていない人ととの繫がりもある。連絡は取らないけどまだ仲間だ。それをこの記事に書いてしまうと、きっと私は満足してしまう。満足して忘れてしまう。

 表現は自分を変えてしまう。話してはいけない、書いてはいけない内容もあると今考えている。