発見するためになんでもいいから書く

 仕事であらゆる文章を読む。読むことが仕事だと言ってもいいくらいだ。読んで読んで読んで、爆発しそうになっている。自分は表現をしたいけど、小説も詩も、エッセイも評論も書けない。上手に書かないといけないという強迫観念があったと思う。それ以上に、SNSで垂れ流される無数の書き手の一人になりたくないという思いが強かった。

 表現は自己顕示欲を満たすためのものになってしまう。自分を売り出すことを書くことで写真を投稿することでしたくない。25歳の頃からは、誰にも知られたくない。自分が思っていること、考えていることを知られたくない。知られてしまうということは、弱みを握られてしまうということだという妄想に取り憑かれていたのだと思う。

 今、書いているのはなぜか。書かなければいけない状況になって如何しようも無い文章を書いたことがきっかけだ。感動も共感も納得も期待しない。事務的な表現だった。読むことは何の抵抗もなくできるのに、書くことに異常に拒否反応を示していたのは、「恐れ」が原因なのだと思う。

 私はプライドの高い人間を可哀想な人だと思っている。私はプライドの高い人間を見つけると、その人のプライドを崩さないように内心は、馬鹿にしながら、可哀想なプライドをくすぐって気分を良くさせて、「あなたは私より上ですよ」ということを暗に示す言葉や態度をあえて与えて、優位にたっているつもりでいたと思う。

 

 例のマッチングアプリで、「個人情報を何が何でも出さない女」がいた。彼女は現代のネット社会に順応し、自分が不利にならないために、マッチングアプリで婚活をしていることが絶対にバレないように、何一つ情報を与えてくれなかった。

 

 ふと興味が湧いた。どんな人間なのか。絶対に自分の情報を出さないと意固地になっている人間の顔を見てみたいという好奇心が自分の中でドバドバと溢れ出した。

 

「あなたに興味がある。あなたのことが知りたい。あなたの考えに共感する」

 

 仕事柄、相手が言ってほしい言葉や態度は、ある程度その場で考えて切り返すことができる。実際には、カギ括弧の内容ではないが、好意を示す言葉を浴びせかけた。彼女が会話の中で頻繁に使う「プライド」という言葉が引っかかった。学歴を持たない彼女は学歴を持つ人間に対して「プライドが高くて仕事ができない」と何度も繰り返した。私は「プライドが高いのはあなたではないですか」という言葉を飲み込んで、とにかく絶対に顔を見せたくないと宣う彼女の顔を見るために、無為なメッセージのやり取りを続けた。メッセージの中で、私は何度も嫌な思いをした。こんな人間とは恋人にも友達にも知り合いにもなりたくないと思った。突き動かしたのは、顔を見たいという好奇心だけだ。もう意地になっていた。

 「お茶に行きませんか」

さりげなく、違和感もないようにお誘いした。受け入れるのか、拒否するのかの前に帰ってきた返事は意外なものだった。

 「あなたは付き合う相手とどのくらいの頻度で会うんですか?」

私には純粋な休みは滅多になく、常に忙しいことは事前に伝えてあったので迷いなく

「週一回、月に一回とか回数は決められない、会える時間を作れるように努力をしてそれが一致した時に会う」という現実的な、しかも本心を伝えたところで彼女のスイッチが入った。

「私は暖かい家庭を作るのが夢なのに」

「週一回も会えないなんて考えられない」

 どうやら彼女の考えは定期的に会うことが絶対条件で、しかも夫になる人間は時間に余裕があり、決まった休日がなければならない。そしてそれらの条件が揃わないと「暖かい家庭」は作ることはできないらしい。 

 

 私の父親が休日に家に居たことは私が覚えている限りではない。毎日ヘトヘトに疲れて遅くに帰ってきて酒を飲んでダラダラしていた。家族サービスと呼ばれるものは一切やらない父親だった。そんな父に対して私は不満を持ったことはない。毎日必死になって働くことが悪いことだなんて一度も思ったことはない。母親は文句を言うことはあったが、文句を言われながら仕事をする父のことを私は好きだった。

 

 彼女が考える「暖かい家庭」像は私の家族、特に父を否定している。私の家族は、どうやら暖かくない、つまり「冷たい家庭」らしい。彼女が否定する家庭らしい。正直言って頭にきた。私は顔を見たいという好奇心もいい加減にしておこうと思い、お茶の誘いを撤回した上で、「自分はお付き合いを申し出たのではなく、お茶に誘っただけ」だと念を押してスマホを放り投げた。

 

 翌日、「暖かい女」からメッセージが届いていた。

 

「お茶のお誘いをお受けいたします」

 

女の顔も、もうどうでも良くなっていたけど、惰性で待ち合わせをしてお茶をした。

現れた女は、美人でも不美人でもない、若いだけの顔だった。美醜ではなく、好きな顔、嫌いな顔というものがある。私の嫌いな顔立ちをしていた。私の膨らんだ好奇心は結局無駄なものだった。碌な結果は産まなかった。顔が見ることができた時点で目的を達成していたが、数時間話をしてみた。本当につまらない、ご機嫌をとるだけの苦痛な時間だった。そろそろおひらきになる時間になって暖かい女は目を見開いて言った。

「改めて聞きますが、あなたはお付き合いする相手とはどのくらいの頻度で会うんですか?」私はメッセージの時と同じ内容を即答した。「頻度は決められない、時間は努力して作る」

それを聞いた女は大げさなため息をついて帰り仕度を始めた。

 

 彼女はやはり、プライドが高い。人並み以上にというより異常に病的に高い。

 

 そう判断した瞬間に、気がついた。何年間もプライドが高い人間を馬鹿にしていた自分は、自分が馬鹿にしていた愚かなプライドの高い人間になっていたのかもしれない。

 

 その証拠に、言い訳をして表現をしたいという欲求を押さえ込んで何も書かない。意地でも書かない。「下手」、「独りよがり」、「自己満足」そんな言葉を言われることを怖がっている。書かなければ言われない。自分のプライドは傷つかない。「暖かい女」がもたらしたのは、自分が最も嫌悪していたものが、自分の中に深く根付いていることへの自覚だった。

 

 それでも本当のところはわからないので、それを発見するためになんでもいいから書くことにした。